2015年 12月 17日
いつも誰かを探してる
エンドロールを待ちながらいつもと同じように仕事をしていると、
もう少しするとこの場にいないんだということがシンジラレナイ。
が、そうなるんだ。
結局、決めるというより湧いてくるんだよね、こうしたいという気持ちが。
言葉以前の液体状でサワサワっと。
それをうんとこさドッコイショっと言葉にすると、腑に落ちる。
ずっと自分の気持ちの在処を求めて、本を読んだり絵を見たり、時にはどっぷりとネットに浸かって、
眠りの中で旅をして、自分の言葉をさぐってた。
自分の気持ちが共鳴し感情から体が鳴るものを、心を澄ませていました。
きこえない、わからない、メンドクサイ、ああ老化したんだ!(三番目は最近のオハコ)
ワォーンと遠吠えしたくなったり
「もう知らない!」という叫びがきこえたりもしてました。
手を離さずにグズグズな三歳の女の子を引きずってく感じ(成長なし?)
そうそ、これも再読しました。
3年前にも読みました。
3年前の自分は他人くらい遠く、まったく別口で読めるな。
最終日にしよ、と思ってる日が開始日とちょうど一日違いということがわかって、
これで良かったんだと思いました。
C'est un bon signe.
ソトヅラではそう見えないようですが、第六感や並びなど割と重視しています。
自分の中の不可解な勘に、positiveなイメージや言葉を与えることができるから。
水晶玉こそ出てこないけれど。
あれって多分、外から(中にいるはずの)自分を見てるのね。
館林の美術館。
ガラスの重なりが竪琴のよう。
少しずつ揺れる風景が、音楽になっていました。
ドレミファソラシド♪
振り出しに戻ってるようで、ふっと1オクターブ上がってる。
そしてふと、働く女の人が増えたんだなと思いました。
いえ、昔も女の人は働いていたけど、それを言葉にするようになったてことでしょうか。
by Bird_W
| 2015-12-17 08:08
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