2014年 06月 10日
読みました。
あーあ、イヤなこと多い。イヤっていうのは、すぐには片付かないもので粘着質。すぐ片付くんだったら、別にそんなイヤじゃないと思う。繰り返すからヤなんだよね。年を重ねれば、過去っつーのがあってイヤなことというのは粘着なもんだから、すぐ今のイヤなことと合体ネバネバしてくる。
…
まあしかし。
仏教でも教えてるように、そのネバネバもまた自分なので、そこでこそ、執着(強力ネバネバゴン)を捨てることが重要になってくるわけ。しかしまた、そのネバネバゴンがいるからこそ、生きていくこともできるわけ。「明日、あれしよ」とか「あれ、買おうかな~」とか「食べたいなあ、もう一度」とか。何の保証もない明日に向かって計画立てるわけ。
前置きがヤケに長いが、『すーちゃんの嫌いな人』を読みまして。
なるほどこれはベストセラー。だれでも必ず会うイヤな人。ある意味、その人がいると場や関係は腐っていく不幸の種をまき散らすひと。
いましたよ。
以前の職場に…
職場のような関係の選択肢のない場所では、パワーゲームに巻き込まれたら「物理的距離をとる」「逃げる」しかありません。逃げろや逃げろ。火傷って大概見かけより重傷。
そういうわけで、『すーちゃんの嫌いな人』はモラルハラスメントに関する良書でした。
そんなにえぐくは書いてないです。
いちばんぐっときたのは、すーちゃんが転職するための休みをとるのに、父病気とか母危篤を使いまわし、母親が「そういうことのためなら、何度死んでもいいんだよ」と言うところですね。母親というのはそういうものだと思います。有り難いものです。あ、うちの母親はそういうことは一切言いませんし、ナニソレな人です。でも、母親の代わりに叔母が言ってくれました。
もし今度そういうことがあったら、
もっと早めに逃げよっと。
…って日記に書いとこ。
by Bird_W
| 2014-06-10 18:30
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